友貴が生まれてから、友貴と父の入院生活の中で、仕事が休みの日や自分が定年退職してからやりたいという気持ちから、療術関係の勉強を少ない時間を見つけては始めていました。
いつか独立して、自分で何か始めたいと、20代の頃から夢を描いていました。父も自営業をしていたので、それを見て育ったせいか、人に使われるのが非常に嫌でした。
このときの勤務している仕事の状況も、次第にストレスがたまる一方となっていました。
非常に忙しい中での勉強は、大変でしたがそれをやっているときは、自分の夢がふくらみ楽しいものでした。
またこの時期に、私の勤務先でも給与規定等の見直しが始まっていました。バブルが弾けた後で、世間では不景気のため、リストラや給与・ボーナスの削減などが、どの企業でも始まっていました。
当然のことながら、自分の勤務先でもそうなることは必然だと感じていました。定年退職年齢の10年以上の引下げ、退職金のカット、各種手当て(住宅・家族手当)の廃止、昇給の大幅削減などが確定したのでした。
友貴の将来のことや、定年後に15年も住宅ローンが残ってしまうなど、将来のことを考えるとますます不安神経症は悪化していき精神的に追い詰められていったのでした。
このままではいけない、何とかしなくてはと妻と毎晩話し合いました。
そして、1年間話し合った結果、勇気をもって独立する覚悟を決めました。この1年間で、勉強していた療術関係の民間資格も取得して、体制は整っていました。
そして、父が亡くなるちょうど1年前に退職し、半年後にテナントを借りての開業となりました。当然、自分の両親からも、妻の両親からも会社を退職することにも独立開業することにも大反対でした。住宅ローンを抱えて、特に病気の子どもがいるのだから、定年までは勤め上げろと言われるのも無理はありません。
自分の不安神経症のことは、両方の親には心配をかけないよう話しておりませんでした。
妻が賛成していたので、反対を押し切って開業に踏み切ったのです。それを期に、思い切って神経症の薬を一切止めました。
環境がガラリと変わったせいと、すべての抑圧から逃れられたことにより、不安神経症はほとんどなくなったのです。
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