妻の待つ産婦人科に戻ると、「どうだった赤ちゃんは?・・・」と訊ねられ、
「ちょっと血液が濃くなりすぎていたから、薄める治療をしていただき、無事でいるよ!」と平静を装い、とりあえずは安心させました。
気の動転している私が、これ以上一緒にいれば様子が違うことに気づかれるため、夕食を済ませてくると病院を出たのです。
このとき、私は誰かに話さなければ、いてもたってもいられない心境でした。すぐに両親や姉に話し、そして職場で一番心許せる友人に電話したのでした。
その友人は、自宅から車で1時間半もかかる距離に住んでいるにもかかわらず、すぐに飛んで来てくれたのです。一部始終を話したのですが、そっと何も言わず涙をこらえて聞きながら見守ってくれた彼は、私にとって一生忘れられない、心の恩人だと今でも感謝の気持ちで一杯です。
あの時の私の心境にとって、彼の存在はどれほど支えになってくれたことでしょうか。
一晩経って、妻はどうも私の態度がいつもと違うことに気づき始めていました。
「何か隠していない?何言われても平気だから、本当のことを話して!」と、うかつにも気づかれてしまい、もう隠してはおけないなと思ったのでした。
「実は、まだ検査結果が出てみないと何とも言えないらしいのだけれど、先天性の病気の疑いがあるようだよ。たぶん、間違いだと思うけどね。」
これを聞いたあとの妻の返答に、私は驚かされました。妻は極めて冷静に「そう。でも何があろうと、私達の子供に代わりはないのよ。」と。
私は医師から告げられての一週間、仕事を休んで毎晩酒に溺れていたのでした。
女性は強し、さらに母は強し。それに引き換え、男である私は実に情けない弱々しい生き物であるということに初めて気がつきました。
出産1週間後に妻は退院し、母乳を冷凍させて病院に運ぶという生活が始まりました。口からミルクを飲めないため、点滴を施しながら、管を胃まで通してミルクを流し込み、少しずつ大きくなっていくのです。
さらに、悪いことは得てして重なるものです。長女出生から、12日経過したある日のことでした。
父は「膀胱癌」に侵されていたのです。
膀胱の3/4が癌に侵されていると、絶望感一杯で話す父を見たのは初めてでした。私にとって、まさに「弱り目に祟り目」「泣きっつらに蜂」と感じた瞬間でした。
9月16日に父は入院しました。(つづく)
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